内藤新吾牧師
1961年、兵庫県生まれ。
神戸ルーテル聖書学院、日本ルーテル神学大学・日本ルーテル神学校卒業。
初任地、名古屋で、原発被ばく労働を繰り返した野宿生活者と出会った事をきっかけに、宗教者として原発・核と平和の問題に深く関わるようになる。
現在は千葉県の日本福音ルーテル稔台教会牧師、日本キリスト教協議会「平和・核問題委員会」委員長、「原発体制を問うキリスト者ネットワーク(CNFE)」共同代表、「原子力行政を問い直す宗教者の会」事務局。趣味は登山。
著書:キリスト者として“原発をどう考えるか”(いのちのことば社)、原発問題の深層 ─ 一宗教者の見た闇の力(かんよう出版)など。
牧師メッセージ
主イエスは私たちに、心を尽くして神を愛しなさいということと、隣人を自分のように愛しなさいということの二つを、戒めとして教えられました。神を畏れ愛し仕えることと、隣人を愛し仕えることとは、切り離せないことです。
日々、どこにいても神を覚えて生きること、そして、自分のためだけでなく隣人のために生きようとすること、この二つの生き方は密接に結びついており、そしてそれは神に求められていることです。どちらか一つだけでいいということは、ありえないと思います。
ところで、隣人を愛する、あるいは隣人に仕えるということについてですが、これについても、神は私たちに二通りの仕方でそれがなされるべきであることを、語っておられます。分かりやすい箇所としては、イザヤ書58章6~8節です。そこには、「悪による束縛を断つ」すなわち「虐げられた人を解放する」ことと、「飢えた人にあなたのパンを裂き与える」こととの、二つの働きが必要であることが記されています。
教会は、またキリスト者個人でも、どちらかというと自分のパンを分け与えることしか考えないのではないでしょうか。「くびきを折る」ことも必要なのに、そうした課題はいつも放って置かれがちではないでしょうか。しかしそのどちらもが必要です。私たちは、何が克服されなければならない問題であるかを学び、そして取り組みをしていく群れでありたいです。