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創世記42章

2014.5.14 聖書を学び祈る会

ヨセフが神により夢解きをしたことは実際となり、飢饉はカナンの地にも及んだ。ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、息子たちを買いにやらせる。カナンからエジプトまでは、4~500kmの道のりで、せいぜい東海道の長さである。けれども、ヨセフの弟ベニヤミンだけは、行くことを許されなかった。それは、もはやヨセフなき者と思われていたヤコブにとって、最愛の妻ラケルの残した、たった一人の子であったからである。ヨセフの兄弟たちは来て、地にひれ伏し彼を拝した。こうして、ヨセフが若い時に見た夢は実現した。かつてヨセフが夢を話したことで、兄たちは怒り彼を殺そうとしたのに、そのことがかえって夢の実現に役立った形になる。非常に不思議な話だが、神の導きなしにはこのことは起こらなかったであろう。ところで、エジプトの宰相自身がいちいち穀物を買いに来た人々に、このように応対していたとは考えられない。もしかしたら、回し者だという疑惑が彼らにかけられたために、ヨセフの元に連れてこられたか、あるいはヨセフが兄たちの来るのを予期して、それらしき者たちが来たら告げるようにと命じていたかのどちらかであろう。
さて、以上のことはまだしも、実はヨセフ物語には、ほとんどの読者が気づいていない大きな謎が残されている。それはヨセフの、この時の年齢である。41章46節には「ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立ったとき三十歳であった」とある。しかしこれはヨセフ物語の話全体の中で、理解するのにかなり難しい数字であることが浮かび上がってくる。というのは、47章9節にある、父ヤコブがエジプトに来て王ファラオに挨拶をした時の年齢が、百三十歳であったことから、そしてそれがこの時代の他の族長たちの年齢とつり合っていることから、それを前提に逆算すると次のようになるためである。すなわち、ヨセフがファラオの夢解きをした後の7年間は大豊作、その後7年は大飢饉となるが、ヨセフの兄たちが買い付けに来たのは、飢饉が始まってから2年であったことから(45章6節)、ヨセフの兄たちとの再会は、王の夢解きから数えて9年後、父との再会も同年ないしはせいぜいその翌年として10年後のことであったので、ヨセフが四十歳の時であったことになる。するとヨセフが生まれた時のヤコブの年齢は、九十歳であったということになるが、これはどうしても無理がある。というのは、ヤコブは兄エサウに命を狙われ、叔父のラバンのもとに逃亡して、そこで出会ったラケルに一日惚れをし、結婚をしていくわけであるが、彼女との歳の差が、四十も五十も離れていたとは考えられないからである。
そうすると、仮にラケルがヤコブより十歳若かったとして、彼女がヨセフを産んだ歳は八十歳の時で、しかもその数年後にはベニヤミンも旅の途上で産み、その日予期せず急に死んだというのは、どう考えても無理な話だからである。そこまでして産まなければならなかったり(サラだけが特例で他は不可能)、産むとしても同時に死ぬことが予想される歳なのに身重で旅の最中とは、無理な仮定である。こういった矛盾は、実は聖書のあちこちにこっそり隠れている。たぶん口伝で伝えられた伝承の誤りか、それか、もしかしたら41章46節の元の文は、こういう内容ではなかったかとも推測される;「ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立つのに三十年であった(エジプトに来てから30年かかったという意。つまりヨセフはその時、四十七歳であったという仮定。またヤコブがヨセフを生んだ歳が七十三歳という仮定)」。それでもこの数字は尚もかなりの無理を残すが、ラケルがヤコブより二十歳ほど若かったならあり得る話である。聖書が全部書いてあるまま間違い無いと思う必要はないが、できるだけ整合性をもって読もうとすれば、「ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立つのに三十年であった」という線が、最も理解しやすい話になるだろう。さてそうすると、ヨセフが監獄で暮らしていた期間は非常に長く、投獄される前にポティファルの家にいた期間が数年あったとしても、二十年以上も監獄にいたということが物語全体をみてわかってくる。それほど監獄に長くいて、最後の二年前に王の給仕長と料理長の夢解きをし、復帰してゆく給仕長に自分の解放の期待を託しつつそれも忘れ去られた時、普通なら誰もそこで全ての気力を失ったであろう。彼はしかしそれらの長い歳月を、希望をもって歩んだ。これは本当に信仰がなくては耐えられない歳月であった。そして時がきて、ファラオの夢解きをし、エジプトの宰相となったのであった。
さて、ヨセフは兄たちと出会い、自分をひどく扱った彼らが、自分の弟ベニヤミンにはどう接しているだろうか、父は健在だろうか、という思いにかられた。また彼は兄たちが、自分になしたことを今ではどう思っているか、知ろうと思った。そこで彼は兄たちに、すぐに自分の素性を明かすことをせず、わざと疑いをかけて彼らをつなぎとめる。ヨセフは兄たちの会話を聞き、離れていって一人泣く。これまでの試練と、肉親の情と、不思議な神の導きに、こもごもの思いが込み上げてきたであろう。しかしヨセフは、まだ彼らに自らを明かそうとしない。ヨセフは兄たちと、安易にではなく真に深いところで和解をしたかったのである。そのためにヨセフは、あえて涙を隠して、シメオンを一人残し、兄たちを故郷へ帰らせる。持ち帰るよう袋に入れておいた銀は、彼の愛と赦しのしるしであった。
父ヤコブは、彼らの帰りとともにエジプトでの出来事を聞き、悲嘆にくれる。しかし、舞台はすぐに一転していく。彼はまだそれを知らないが、神はこのように、明日の幸福を隠されることがある。

交通アクセス

教会へのアクセス

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新京成線みのり台駅改札を出て右に向かう

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交差点では信号待ち

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交差点向こう側が教会です

 

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敷地入口の花壇 今は真っ盛りです

 

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日本福音ルーテル稔台教会 正面

アクセス
新京成線駅 改札を出て右に踏み切りを渡りすぐの交差点向こうの右角に在ります。