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創世記42章

2014.5.14 聖書を学び祈る会

ヨセフが神により夢解きをしたことは実際となり、飢饉はカナンの地にも及んだ。ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、息子たちを買いにやらせる。カナンからエジプトまでは、4~500kmの道のりで、せいぜい東海道の長さである。けれども、ヨセフの弟ベニヤミンだけは、行くことを許されなかった。それは、もはやヨセフなき者と思われていたヤコブにとって、最愛の妻ラケルの残した、たった一人の子であったからである。ヨセフの兄弟たちは来て、地にひれ伏し彼を拝した。こうして、ヨセフが若い時に見た夢は実現した。かつてヨセフが夢を話したことで、兄たちは怒り彼を殺そうとしたのに、そのことがかえって夢の実現に役立った形になる。非常に不思議な話だが、神の導きなしにはこのことは起こらなかったであろう。ところで、エジプトの宰相自身がいちいち穀物を買いに来た人々に、このように応対していたとは考えられない。もしかしたら、回し者だという疑惑が彼らにかけられたために、ヨセフの元に連れてこられたか、あるいはヨセフが兄たちの来るのを予期して、それらしき者たちが来たら告げるようにと命じていたかのどちらかであろう。
さて、以上のことはまだしも、実はヨセフ物語には、ほとんどの読者が気づいていない大きな謎が残されている。それはヨセフの、この時の年齢である。41章46節には「ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立ったとき三十歳であった」とある。しかしこれはヨセフ物語の話全体の中で、理解するのにかなり難しい数字であることが浮かび上がってくる。というのは、47章9節にある、父ヤコブがエジプトに来て王ファラオに挨拶をした時の年齢が、百三十歳であったことから、そしてそれがこの時代の他の族長たちの年齢とつり合っていることから、それを前提に逆算すると次のようになるためである。すなわち、ヨセフがファラオの夢解きをした後の7年間は大豊作、その後7年は大飢饉となるが、ヨセフの兄たちが買い付けに来たのは、飢饉が始まってから2年であったことから(45章6節)、ヨセフの兄たちとの再会は、王の夢解きから数えて9年後、父との再会も同年ないしはせいぜいその翌年として10年後のことであったので、ヨセフが四十歳の時であったことになる。するとヨセフが生まれた時のヤコブの年齢は、九十歳であったということになるが、これはどうしても無理がある。というのは、ヤコブは兄エサウに命を狙われ、叔父のラバンのもとに逃亡して、そこで出会ったラケルに一日惚れをし、結婚をしていくわけであるが、彼女との歳の差が、四十も五十も離れていたとは考えられないからである。
そうすると、仮にラケルがヤコブより十歳若かったとして、彼女がヨセフを産んだ歳は八十歳の時で、しかもその数年後にはベニヤミンも旅の途上で産み、その日予期せず急に死んだというのは、どう考えても無理な話だからである。そこまでして産まなければならなかったり(サラだけが特例で他は不可能)、産むとしても同時に死ぬことが予想される歳なのに身重で旅の最中とは、無理な仮定である。こういった矛盾は、実は聖書のあちこちにこっそり隠れている。たぶん口伝で伝えられた伝承の誤りか、それか、もしかしたら41章46節の元の文は、こういう内容ではなかったかとも推測される;「ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立つのに三十年であった(エジプトに来てから30年かかったという意。つまりヨセフはその時、四十七歳であったという仮定。またヤコブがヨセフを生んだ歳が七十三歳という仮定)」。それでもこの数字は尚もかなりの無理を残すが、ラケルがヤコブより二十歳ほど若かったならあり得る話である。聖書が全部書いてあるまま間違い無いと思う必要はないが、できるだけ整合性をもって読もうとすれば、「ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立つのに三十年であった」という線が、最も理解しやすい話になるだろう。さてそうすると、ヨセフが監獄で暮らしていた期間は非常に長く、投獄される前にポティファルの家にいた期間が数年あったとしても、二十年以上も監獄にいたということが物語全体をみてわかってくる。それほど監獄に長くいて、最後の二年前に王の給仕長と料理長の夢解きをし、復帰してゆく給仕長に自分の解放の期待を託しつつそれも忘れ去られた時、普通なら誰もそこで全ての気力を失ったであろう。彼はしかしそれらの長い歳月を、希望をもって歩んだ。これは本当に信仰がなくては耐えられない歳月であった。そして時がきて、ファラオの夢解きをし、エジプトの宰相となったのであった。
さて、ヨセフは兄たちと出会い、自分をひどく扱った彼らが、自分の弟ベニヤミンにはどう接しているだろうか、父は健在だろうか、という思いにかられた。また彼は兄たちが、自分になしたことを今ではどう思っているか、知ろうと思った。そこで彼は兄たちに、すぐに自分の素性を明かすことをせず、わざと疑いをかけて彼らをつなぎとめる。ヨセフは兄たちの会話を聞き、離れていって一人泣く。これまでの試練と、肉親の情と、不思議な神の導きに、こもごもの思いが込み上げてきたであろう。しかしヨセフは、まだ彼らに自らを明かそうとしない。ヨセフは兄たちと、安易にではなく真に深いところで和解をしたかったのである。そのためにヨセフは、あえて涙を隠して、シメオンを一人残し、兄たちを故郷へ帰らせる。持ち帰るよう袋に入れておいた銀は、彼の愛と赦しのしるしであった。
父ヤコブは、彼らの帰りとともにエジプトでの出来事を聞き、悲嘆にくれる。しかし、舞台はすぐに一転していく。彼はまだそれを知らないが、神はこのように、明日の幸福を隠されることがある。

創世記40章、41章

2014.5.7 聖書を学び祈る会
ポティファルの妻の悪だくみによって、ヨセフは監獄に入れられたが、彼は希望を失わなかった。そして、与えられた場で、前向きな生き方をした。彼がそのことをできたのは、「主がヨセフと共におられ」と聖書が何度も記しているように(39章)、彼もまたそのことを信じることができたからに他ならない。
信仰による希望。彼は、神によって錬られ、成長をしてゆく。神が共におられることを信じることによって、試練は忍耐と練達に変えられ、希望をも生み出していった(ローマ5章3,4節)。そして更に、それは、彼個人のことにとどまらないばかりか、多くの人々を救済する結果へと導かれていく。
ヨセフがファラオの侍従長の屋敷で、奴隷でありながら執事の役までこなし、家をますます繁栄させた経験、そして次には、無実の罪で入れられた監獄でも、決して自暴自棄になるのではなく、他の人々の世話まで進んでなし、様々な問題を抱えているはずの囚人たちさえもよくまとめ続け、囚人たちからも監守長からも信頼を得た経験。それらは、やがてエジプトの総理大臣の任を命ぜられるための、準備期間として、神が備えられた訓練のときであった。

ヨセフが獄で過ごしていたある日、エジプト王の給仕役と料理役とが、同じ獄につながれ、それぞれ夢を見て、思い悩んでいた。夢は、隠された形で将来の出来事の予言を含んでいると信じられていたが、一般にはそれを解くのには、特別な技術を持つ者や占い師的な専門家が必要だと考えられていた。しかしヨセフは、「解くことは神による」と言った。それは、神への信頼と忠誠から、神の示したもうことを見るのだと言うのである。したがってその夢解きは、当時の魔術的な夢判断に対する、根本的な挑戦でもあった。ヨセフが言うところは、未来は、神の御手の内にのみあるのであって、これを人間の力や技術で知ったり、コントロールすることは出来ないということである。この言葉を、彼はエジプト王の前でも語った。彼は自分の力で夢を解こうとしたのではなく、神が告げ知らせてくれることを伝えたのであった。王と家来は、その解き明かしに納得し、感心をした。

上記が、聖書がこの物語で告げる内容である。しかし、今日での夢の位置づけは、どうすべきであろうか。聖書は、記されたその時代によって、限界を持つ部分と、限界を持たない不変の真理の部分との両方があり、私たちはそれを見極める必要がある。この場合、夢は言うまでもなく、今日では現実の何かを前もって示すものなどではないことは、理性ある者ならば明白な答である。すると、聖書が記した内容はどういうことであるか。当時は、夢というのが、大へん重要視されていた時代であった。そういう時代であったので、神は、このような特別な啓示の仕方をされたこともあったのだというふうに、この記事を読んでもよいだろう。
今日、もしヨセフが生まれ、同じような舞台に立つとしたら、彼は夢の解釈という方法ではなく、ずばり為政者のなすべきことを、世界の状況をみて倫理的な視点で指摘したであろう。それでも、聞く・聞かないは、その為政者自身に責任が問われている。21世紀に入ってすぐ、某大国の大統領は国連の制止を無視し、また神がローマ法王その他多くの人々を通し語った忠告にも耳を傾けず、戦争を起こしたことは、取り返しのつかない過ちであったことを、引退した今からでも反省し、公に言い表わすべきであろう。

次回:5月14日(水)創世記42章

マルコ福音書 16章1節~20節

 2013.5.22 聖書を学び祈る会
[復活する](16:1~8)

 復活は、キリスト教において根幹をなす信仰である。私たちの復活の希望は、イエス・キリストが初穂として甦られたという事実に基づいているのであって、そうでないとするなら、これほど惨めな者は無いであろうとは、パウロも言っていることである(第一コリント15章)。主の復活は、日曜日の朝早くであった。それゆえキリスト教会では、日曜日を主の日と呼んで、礼拝を守るのが通常となっている。

 さて、イエスが十字架にかかられてから三日目の朝、数名の女性たちがイエスのところに、香油をささげたいと思ってやってくる。彼女たちはしかし、だれがあの大きな石を動かしてくれるだろうかと、心配をしていた。しかし、行ってみるとそれはもう取り除かれていた。マタイ福音書を見てみると、ユダヤの宗教家たちは、だれもイエスの遺体を盗んだりできないように、その重い墓石に封印をして、番人まで付けていたとあるが、そのことがかえって、イエスが何か超自然的な方法によって、復活したということを、証明するものとなった。

 当時生きていた世界的な歴史家のヨセフスは、ユダヤ人であり、イエスをキリストとは認めていない立場でありながら、これらの騒動があったことだけは事実として記録をしている(民衆の信望を集めたイエスなる者がローマにより十字架で処刑され葬られたが、三日後に遺体が消え、弟子をはじめ多くの信者たちによって、イエスは甦ったとの噂が広まった、という内容)。これらをどう受けとめるかは、やはり聞く者の信仰にかかっていると言えよう。

 さて、婦人たちは神の使いに出会い、み告げを受けるが、異常な経験に、驚きのあまり声も失ってしまう。それは恐怖の感覚であったと、福音書記者は正直に記している。そして実は、本福音書は、この節をもって終わっているのである。あまりに衝撃の出来事のまま、記載はこれで終わっている。9節以降は[  ]書きとなっているが、これは、オリジナルに近い重要な写本たちに書かれていない記事を指し、おそらく、本福音書がいったん発刊された後に、補足文として、マルコないしその弟子のグループによって追加されたものである。この福音書を伝道旅行のさ中に書いたマルコが、いかに多忙であったかを物語る一面でもあり、またもう一面には、弱く虐げられた立場の女性たちの衝撃の経験が、すべての福音宣教の始まりでもあったことを意味する上で、第一期のこの書の終わり方は、それなりに興味深いものである。

[マグダラのマリアに現れる](16:9~11)

 9節以降は多くの写本に欠けているが、教会の信仰により加筆されたものであり、復活の主の証人たちの証言に基づき編纂されていることには変わりなく、読んでひもとくことに何ら問題は無い。

 復活の主に最初に会うことができたのは、マグダラのマリアであった。彼女はかつてイエスに、七つの悪霊を追い出してもらった者である(ルカ8:2)。イエスは復活されてからも、私たちの遠い存在にある方ではなく、弱さを負う私たちの友である。

[二人の弟子に現われる](16:12~13)

 これはルカ24:13節以下に記されている、エマオ途上の二人の弟子の物語の簡略紹介であろう。ルカの記述でも、「二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」とあるが、マルコでもはっきりとそれは「イエスが別の姿で御自身を現された」からであったと記している。これは今日でも主が最も苦しい立場に置かれている人に御自身を投影されていることを、覚えさせる出来事ではないだろうか。

[弟子たちを派遣する](16:14~18)

 復活のイエスは弟子たちを、新たに派遣された。福音を全世界に伝え、信じる者を救われるためである。教会はこの使命を負うている。

 「信じる者にはこのようなしるしが伴う」とあるのは、聖書が記された時代のしるしであったろう。神は当時それを用いられたのである。しるしというのは過ぎ去るものであり、それに固執する者は、むしろ不信仰であろう。今が当時のようではなくても、私たちの信仰や使命は消えないのである。

[天に上げられる](16:19~20)

 イエスは今も私たちと共に働いておられる。最も大きなそのことのしるしは、私たちが目に見える証拠は何もないのに、信仰を与えられ、喜びと希望に生かされていることである。

マルコ福音書 15章16節~47節

2013.5.15 聖書を学び祈る会
[兵士から侮辱される](15:16~20)

 兵士たちにはイエスに対する憎しみはなかったであろうが、彼らの行為は、冗談であり悪ふざけであった。この品の無い嘲弄は、いつの時代も、真実に生きようとする者へとなされる。私たちは、主が受けられた愚弄を思い起こすことによって、忍耐する力が与えられる。

[十字架につけられる](15:21~32)

 刑場へ向かう途中、倒れたイエスの十字架を代わりにかつがされたのは、ちょうどそこを通りかかったキレネ人(アフリカ人)のシモンであった。彼は恐らく過越祭のために、はるばる旅して来た者である。名が記されたのは、後にキリスト者となり、皆の知る者となったからであろう。ローマ16:13のルフォスは、彼の息子だと考えられている。

[イエスの死](15:33~41)

 イエスの死が近づいた。昼であったが、全地は暗くなった。イエスの死に対して、自然も呼応したのである。   イエスは十字架上で、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫ばれたが、これは詩篇22:1の苦難の言葉を引用されたものである。イエスはこのように、ご自身を、神から離反し捨てられた罪人として、死ぬことを選ばれたが、実際にその苦悩は、想像を絶するほどのものがその上にあった。神と一体である方が、人々の罪を身代わりに負い、神が見えなくなるという苦悩を味わってくださったから、私たちは赦されたのである。

 イエスが息を引きとられた時、神殿の垂れ幕が、上から下まで真っ二つに裂けた。これは厚さ12cmもあるものであった。この幕が裂けたということは、これより人々は、神殿で犠牲をささげることによって神に近づくという形には終りが告げられ、罪を悔い御子によって赦しを求める者は、誰でも、神はそのままで御もとに受け入れてくださるという、新たな道が開かれたことを意味する。

[墓に葬られる](15:42~47)

 イエスが死んだ時、アリマタヤのヨセフが遺体を引き取りに来た。彼は、イエスの死を決議した70人議会(サンヒドリン)の一人であったが(マタイ27:57、ルカ23:51参照)、この行為をするには、たいへんな勇気がいったであろう。しかし彼はイエスの死を見て、イエスがまことの神の救い主であったことを知り、葬りを申し出たのであろう。ヨハネ19:39によると、ニコデモも一緒にいて世話をしたと記されている。以前、人目をはばかり、夜イエスのもとに教えを乞いに来たニコデモもまた、議員の一人であった(ヨハネ3:1)。懺悔し、御もとに来る者について、来るのに遅すぎる「時」は無い。

 葬りの時、他に、マグダラのマリヤとヨセの母マリアもいたが、彼女たちの愛情は、こまやかであった。イエスが捕われた際、弟子たちは逃げ去り、ペトロでさえ主を否認した。ところが、終始十字架のそばにあって、イエスを見守っていたのは、女性たちであった。福音は、そして真の信仰は、実はいつもこのような目立ない、弱い存在の人たちによって、受けつがれてきた。

マルコ福音書 14章53節~15章15節

                                                   2013.5.8 聖書を学び祈る会

[最高法院で裁判を受ける](14:53~65)

 イエスは、エルサレムにある七十人議会(サンヒドリン)の議員が全員集まっているところに連れて来られた。この議会では、宗教に関する分野と、民事に関する分野の裁判の権限が与えられていた。他の事項に関しては、ローマから派遣されている総督府が決定をした。また、このサンヒドリンには、死刑の権限は与えられていなかった。そういうわけで、彼らは、何とかイエスにとって不利な証言を集めて、死刑を議決する機関に持って行こうとしたのであった。

 イエスは、自分に不利な偽証が出てきても、黙っておられた。また、中には本当にイエスが語った事の証言も出てきたが(58節はヨハネ2:19参照)、それについての彼らの証言が食い違っても、好きに言わせるままに放っておかれた。豚に真珠という言葉があるが、彼らには何を語っても無駄だからである。しかし、ご自身の使命についての最も重要な質問「あなたはメシアか」ということにだけは、はっきりと、「そうである」と答えられた。そしてこの言葉が、彼らにとって決定的な冒涜の言葉となった。

[ペトロ、イエスを知らないと言う](14:66~72)

 イエスが捕えられ、弟子たちは逃げていったが、ペトロは事のなりゆきを知りたくて、イエスがいる大祭司の屋敷の中庭まで入ってゆく。マタイ26:58には、「ペトロは遠く離れてイエスについていった」とある。しかしその「遠くから」が、彼を過ちに陥らせた。誰しもが弱さを身にまとっている。しかしだからこそ、いつもイエスの御そば近くいる必要がある。そしてまた、いかなる失敗をしても、それでも包み込んでくれる主の愛に立ち返らなくてはならない。

[ピラトから尋問される](15:1~5)

 ユダヤの最高法院は、イエスを死刑にしたがったが、当時はローマ帝国の支配下にあったため、死刑の決定には、ローマのユダヤ支局の許可が必要であった。そういうわけで、イエスはローマのユダヤ総督ピラトのもとに連れてこられる。ピラトは、ユダヤの宗教的いさかいには付き合いたくはなく、さっさとムチ打つ程度で済ませたかった。しかしユダヤ上層部が、イエスをローマに反逆する政治犯として、ピラトにくいさがる(ルカ23:2、他参照)。そこでピラトはイエスを審問しなくてはならなくなる。が、イエスを見ても、彼らが言うような政治犯には、とても見えなかった。

[死刑の判決を受ける](15:6~15)

 ピラトには、ユダヤ人たちがイエスを殺したがっていることが、ユダヤ上層部の嫉みや扇動によるものだとわかったが、もうどうにもおさめようがなかった。結果、ピラトは正・不正を貫くことではなく、騒乱が起きることを恐れ、政治的に自分が不利にならない道を選んだ。このような政治家は、いつの時代にも大半を占めている。これは私たちの心のいいかげんさを代表するものである。

マルコ福音書 14章22~52節

2013.5.1 聖書を学び祈る会

[主の晩餐](14:22~26)

 聖餐式は、キリスト教会の重要な聖礼典のひとつである。それは、イエスの行なわれた最後の晩餐に基づいている。過越には、神殿や各地でも、牛や羊をほふって犠牲としてささげることがなされていたが、そのことは、キリストが小羊として、十字架で犠牲の死を遂げられることを暗示していた。イエスはそのことを、この晩餐の時に明らかにされた。また、ご自身が地上を去ってからも、残る民と実際の交流をなさる約束として、この聖餐式を制定なされた。私たちは、キリストが再び来られる日まで、彼が私たちを贖われた死を覚え、聖餐式を守り、これを通して主と交わりを深め、恵みをいただくのである。

[ペトロの離反を予告する](14:27~31)

 イエスと弟子たちは、食事の後、オリーブ山の方へと出かけた。その途中で、イエスは弟子たちに、彼らがイエスから離れ、四散するであろうことを予告なさった。
 ペトロは、他の者がたとえそうなっても、自分は決してそのようなことはいたしませんと固く誓った。他の者も同じように言ったが、彼らは皆、イエスから離れることになる。意気込みや覚悟だけでは、私たちはこの世で信仰を全うすることはできない。神様のまもりがなければ、私たちは脆い。そのことを認める謙遜さがない者は、どこかが神との関係において誤っていると言えよう。

[ゲッセマネで祈る](14:32~42)

 イエスが負う苦難は、外面的肉体的苦難よりも、精神的霊的苦難の方がもっと深かった。それはイエス自身「悲しみのあまり死ぬほどのものである」と言うほど、激しいものであった。イエスは、この杯を、できれば取り除いてくださいとまで祈る。「杯」は神の刑罰として象徴的に用いられた言葉。イエスは神の子でありながら、罪人として神に反逆する者の刑罰を受ける。この霊的苦悩は、私たちの想像を越えている。しかしそれでもイエスは、「しかし、御心に適うことが行なわれますように」と祈られた。

[裏切られ、逮捕される](14:43~50)

 イエスの顔は大勢に知られていたであろうが、間違いなくこの人だと知らせるために、ユダは手引きと合図をした、と長い間、この箇所は解釈されてきた。しかし近年、ユダは祭司たちにイエスを誤解を解かせるため引き合わせることだけを考えていたのに、まさかこんな事態になるとはと、イエスに対し彼なりの信愛のしるしを示しておきたかったのではないかという解釈もなされるようになってきている。マタイに記された彼の前後の行動からみて、それはむしろ自然な解釈である。しかしその場合、ヨハネ12:6はヨハネの思い込みということになるが、十二弟子の中でも最も思い込みの強かったヨハネであるから、そういうことも有っておかしくはない。聖書には、他にも明らかな矛盾の箇所が幾つもある(ユダの死に方や、十字架刑の左右の強盗の言葉や、他にもあちらこちらに)。
 さて、兵士がイエスを捕らえると、そばにいた者の一人が、剣を抜いて相手の片耳を切り落としたとある。ヨハネ福音書によると、これはペトロであった。しかしそのペトロの熱情でさえ、長くは続かなかった。

[一人の若者、逃げる](14:51~52)

 この若者が、この福音書を書いたマルコと呼ばれるヨハネで、最後の晩餐の行なわれた家の子であったと推測されている(使徒12:12)。

マルコ福音書 14章3~21節

 2013.4.24 聖書を学び祈る会
[ベタニアで香油を注がれる](14:3~9)

 ヨハネ福音書ではラザロの家でマリアがイエスの足に香油を注いだことになっているが、マルコ福音書では名は記されず、また頭に注いだとある。しかしこういった微妙な違いは、大した問題ではなかろう。女が香油をイエスに注ぎかけたことは、これから死地に赴こうとするイエスが、本当はキリスト(救い主/元の意味は「油注がれた者」)であり、世界の王であり、救い主であることを偶然にも暗示した。この女はそのような深い意義は知らず、最高のもてなしの慣習に従って、ただ心からの敬いをもって行なったのであろう。普段から愛し敬っていたイエスに、ただならぬ時が近づいているのを直観的に察知して、今できる精一杯のことをしておきたかったのである。ナルドの香油は、ヒマラヤの麓にしかない樹木の根からわずかに取れる香料で、わずか1グラムが1デナリ(男子1日の労働賃金)もする貴重なものであった。

[ユダ、裏切りを企てる](14:10~11)

 香油をささげた女の尊い行為とは対称的に、ユダの裏切りは行なわれた。彼の裏切りの原因は、単なる金(マタイ26:15には銀貨30枚とある)欲しさではなかったであろう。イエスをこの世的英雄と見る一般的メシヤ観に従って弟子となった彼が、イエスのやり方を見て、非常に要領が悪いと思い、宗教界の長たちとイエスがゆっくり話し合いの時を持ち、彼らと折り合いを付ければ、全てが巧くゆくと考えたのであろうと推測される。彼なりに、善かれと思ってなしたことであろう。それでなければ、後に後悔して首を吊ったこと等の説明が付かない。

[過越の食事をする](14:12~21)

 過越はユダヤの重要な記念の宗教的祭りであった。それはかつてイスラエルが神の守りによって、無事エジプトを脱出できたことを思い起す儀式であり(神から使わされた死の使いは、目印に家の戸口に塗られた羊の血を見て、通り過ぎて行き、神の民を虐げるエジプトにだけ災いを及ぼした)、それゆえこの食事は、死から命に導き入れられたことを記念する、大へん重要な意味を含んでいた。

 さてイエスは弟子たちと、この食事をなされた時、彼を裏切る者がその中にいることを話された。しかしユダ自身もまた、イエスを裏切る行為であることに気が付いてはいないようであった。そうでなければ、ユダ自身が「先生、まさか私のことでは」(マタイ26:25)と問いはしなかったであろう。彼自身は、イエスのために善かれと思うことを予定していたに過ぎず、師をだまし殺すなどという意図は無かったものと考えられる。彼は恐らく、自分の師が、大祭司たちとよく話し合いの時を持てれば、誤解も解け、公に認知されると思い、その段取りをしたつもりなのであった。力を持つ者の機嫌を取ろう、或いは機嫌を損ねないようにしようとすると、このような悪魔の罠に陥る。運命的にユダが主を裏切ることになっていたというわけではない。ユダの心がまっすぐ救い主に向かっていたのならば、他の媒介を通して、主は十字架の刑に渡されていたであろう。

マルコ福音書13章24~14章2節

2013.4.10聖書を学ぴ祈る会           

[人の子が来る] (13:24~27)

キリストが再び来られる時の異象は、天体的規模である。想像を越えたことであるが、人間の罪による古い世界が過ぎ去って、新しい神の世界が出現するためには、そのような天体的異象が必要なのであろう。現在の世界が進展して、神の国になるのではない。どんなに科学や制度や施設が発展しても、人間の心が浄化されない限り、それだけでは神の国は現れないのである。神の直接的な介入が必要である。

[いちじくの木の教え](13:28~31)

 終わりの時がこのような規模で起こる以上、私たちにとって必要なことは、再臨の時の異常な出来事に対する対処の知識ではなく、信仰によって本当の備えをなすことである。天地は、全く新しく造りかえられる。異象と艱難は、そのことの前の出来事に過ぎない。信仰をもって生きることが、最も重要なことである。しかしまたその信仰とは、愛に根ざしたものでなくては、真実なものとは言えない。愛の欠落した内容で、信仰とは、はたして有り得るのだろうか。教会にはときどき、未来の子たちへの環境汚染の問題を全然気にせず、最後には神が天地を造り変えてくれるのだろうという、安易な考えが蔓延しているのではないかと感じることがあるが、断じてそうであってはならない。むしろそうした、愛の冷えた時代になると、神はもうこれまでかと判断され、世の継続を断念されるのではないだろうか。本来は、神はこの世で、人々が出来る限り長らえることを願われている。

[目を覚裏していなさい](13:32~37)

再臨の日がいつであるかは、人間には隠されてある。それは神のよしとされる時にまかせられている。予定として「この日」と決まっているのではない。であるから、人間の姿を取り現われたイエスも、その日を、何千何百何十年後の何月何日という形で、明らかにはされない。それは、時代の制限をもって地上に現われておられた限りにおいて、決定がされていない事柄だからである。その日がいつになるかは、多分に人間の行動いかんにかかっているとも考えるべきである。もはや人間がどうしようもない状況になった時、やがてそうなることは避けられないことではあるのだが、その時に神は、最後のまた完全なる救済策として、新しい天地の創造ということを考えておられる。神はいつの時代も、人間に忍耐をもって、悔い改めを待ち望んでおられる(Iテモテ2:4)からである。

[イエスを殺す計略](14:1~2)

 エルサレムでのイエスの活動を書き終わったマルコは、これからいよいよイエス最大の使命である受難、そしてそれに続く復活について語る。
 過越は、ユダヤの最も大きな祭りである。これは、イスラエル人がエジプトから脱出するとき、白分たちの家の門に小羊の血を塗り、エジプト人に害を与えるため使わされた天使が、それを目印に通過していったことを感謝して覚える、記念の祭りである。ユダヤの正月(ニサンの月)の14日に行なわれる。除酵祭は、彼らが脱出のとき、種入れぬパンをたずさえていたことと、春の農耕の祭りとが結ぴついたものである。しばしばこの二っの祭りは同一視された。
 ところで、宮を中心とする祭司長たちと、会堂を中心とする律法学者たちは、協力してイエスを殺そうと計った。そして、民衆に人気のあるイエスを、祭りの前か後、できれぱ早いうちに殺したいと考えた。しかしそれはバプテスマのヨハネが、「見よ、神の小羊」とイエスを指さしたことを、成就させてゆくこととなる。

マルコ福音書 13章1~23節

2013.3.13 聖書を学び祈る会

[神殿の崩壊を予告する](13:1~2)

 エルサレムの陥落と神殿の崩壊は、実際に起きた事件である。それはイエスが十字架にかかられたおよそ40年後、紀元70年に、ローマ兵によって起こされた。マルコ福音書の記されたのも、ちょうどその後ぐらいである。イエスの言葉と、実際に起きた事とが、あまりに鮮烈に思い起されたのであろう。

 エルサレムの神殿は、イスラエル人の信仰の中心であった。その外観も、実に堂々たるものであった。しかしイエスは、それらがやがて崩れ去ることを予告なさった。2節の言葉はまわりくどいが、要するに「全部崩される」ということである。イエスは、「先生、御覧ください。何とすばらしい石、何とすばらしい建物でしょう」と言った弟子の言葉に対し、象徴や外観また形に心が捉われることを注意なさり、それらが過ぎゆく物でしかないことを言われたのであった。

[終末の徴](13:3~13)

 イエスは2節で、エルサレム神殿の崩壊のことを予告なさったのであるが、それはユダヤ人である弟子たちにとっては、考えられない、それこそ世の終わりのことのように思われた。そして彼らは、イエスに、そういった終末の時には、どういったことが起きるのですかと、質問をした。

 これについてのイエスの答えは、いつのこととは限定できないものである。言い換えればこれらは、いつの時代でも起こってきたことである。かつても「自分がそれ(救い主)だ」と言う者はいたし(既に一世紀から)、現在も、新興宗教の中にそういったものはたくさんある。それらの宗教は、たいてい病気の癒しや金儲けのご利益を説いて人をひきつける。しかしイエスは、「人に惑わされないように気をつけなさい」と言われる。こういった惑わしのあるところは、それと出会う者にとっては、終末と同じ時なのである。また、いつの時代であっても、死ぬまでの限られた時間の中で、真理を探求し生きることが求められていることは、どの人間にも言えることであって、それはどの人も終末に生きていることを言っているのと同じである。どの人も、みな、死んで神の前に立ち、どう生きたかが問われるのである。ただしかし、この世界に必ず終わりが来るということも聖書の確かな約束であることを覚え、新しい世界に私たちが生まれ変わる時が来ることを待ち望んで、しっかりと残りの人生を生きていきたいものである。

[大きな苦難を予告する](13:14~13:23)

 マルコによる福音書のこの記事は、紀元40年、カリグラ皇帝が神殿に自分の像を立てさせた事件、あるいは70年のエルサレム陥落の時のことと関係づけられているのであろう。これらのことがイエスの予告なさった終末に対する注意の言葉と結びついて、真剣に伝えられるべき当時の緊急の事柄となったのである。しかしまた、これらはいつの時代でも気をつけなければならないことであり、また歴史は繰り返すという格言もあるように、いよいよ本当の終末が来る時も、同じような状況になることを、イエスはやはり予告なされたのではないかと解釈することも可能である。不完全で御心の通りにならないこの世界に、いつか神様によって終止符が打たれ、新しい世界が始まるということは、人間の魂にとって、ある意味幸せなことでもあるからである。

マルコ福音書 12章28~44節

   2013.3.6 聖書を学び祈る会

[最も重要なおきて](12:28~12:34)

 律法学者はしばしばイエスの敵として現われてくるが、ときにはイエスに好意と尊敬を持った者があり(ルカ7:36、ヨハネ3:1、使徒5:5他)、ここに出てくる一人の律法学者も、敵意を持った者ではなかった。
 律法学者は、主にモーセ五書を中心として旧約聖書に記された律法を重んじ、それを日常生活に適用したために、全部で613の細則ができたほどであった。そして、あまりに律法の数が多くなると、その中で何が中心であり、何が最も大事であるかが分からないようになってしまった。そこでこの律法学者はイエスに対し、答を想定し言葉じりを捉えるための悪意からではなく、本当に真理を知りたくて、また確信を得たくて、この質問をしたのであっただろう。私たちもしばしば、多くを知っていても、中心の本質すなわち核心を見失ってしまい、中心ではない部分に捉われることがあるので、気をつけたい。

[ダビデの子についての問答](12:35~12:37)

 救い主がダビデの子孫から生まれてくるというのは、旧約の一致した預言であった。しかしキリストは、かつてダビデがそうであったような、地上的・政治的支配のために来られたのではなく、霊的解放・霊的支配のために来られたのであった。そしてそれは、前者を凌駕している。なぜならそれは、永遠に属することであり、また、まことの平和、幸せをもたらすものだからである。だからキリストは、もはやダビデの子という称号ですら、来られたことにより、彼を指す称号としてはふさわしくなくなった。

[律法学者を非難する](12:38~12:40)

 中身が伴わず、外側ばかりが厳かでもったいをつけている宗教は、神の厭われるところである。心が伴わず、形式だけや、あるいは立派な建物、また人に見せることを意識した態度は、まったく偽善であって、イエスはそのようなことを厳しく批判された。

[やもめの献金](12:41~12:44)

 形式主義の偽善を厳しく非難したイエスは、今度はここで、偽善とは反対の隠れた信仰のわざを誉めておられる。やもめが心をこめて、誠心誠意神にささげものをしたことを、イエスは目にとめておられた
 イエスが大切にされるのは、内面が伴っていることであって、決して量的大小ではない。それは奉仕の面でも、集団の数にしても同じである。神は、私たちが心をこめて礼拝し、また奉仕し、一生懸命仕えることを、喜びまた求めておられる。そして、その人がどれほど神を想い生きているかは、神のほかに誰も精確に知ることはできない。しかし、もし私たちが、自分が本当には一生懸命、神に仕えてはいないのを知っている時、私たちに真の喜びは与えられない。