創世記37章 おさらいと補足

2014.4.9 聖書を学び祈る会
ヨセフ物語は、誰もが持つ罪の深さにもかかわらず、神がそれらのゆえに起こる悲劇をも通してなお、着実に救いのみわざを準備し、遂行されるという事柄を扱う。1~11節については、前回にもふれた通り。17才にもなったヨセフは(2節)、兄たちのことを父に告げ口したり、兄たちの前で自分が彼らから敬われるようになるということを、話すべきではなかった。彼のこの傲慢さが、兄たちの嫉妬と怒りとを更に助長したのであった。また、このようなわがままな子が育つに至ったのは、父の甘やかし過ぎという責任もあった。さらに、ヤコブの彼への偏愛が、他の息子たちの嫉妬をかった。ここには三者三様の過ちが出てくる。

兄たちは、遠くの野原まで出て来たヨセフを、穴に放り込んだ。当初、長兄ルベンは、あとでこっそりヨセフを救い出し、父のもとへと返すつもりでいたが、既にヨセフはどこへやら、消えてしまっていた。そこで彼らは、ヨセフの着ていた着物に山羊の血をつけて家に持ち帰り、父ヤコブには、ヨセフが野獣に殺されたらしいと、思わせるようにした。彼らはそのことによって、ヨセフに対する嫉妬と、父の偏愛に対する恨みを晴らそうとしたのであった。彼らの言葉が、その冷たさを物語っている。「あなたの息子の着物かどうか」確かめてくれと言うのである。「わたしたちの弟」ではない。

しかし、このことはやり過ぎであった。父の悲嘆の仕様は、彼らの想像以上であった。あまりにも嘆き悲しむ父をみて、彼らは慰めようとするが、もう遅かった。罪はこのように、更に罪また悲劇を生む。このことは兄たちを、深い反省へとうながしたであろう。彼らのその変化は、のち、44章にて特に顕わに見ることになる。また、このような変化は、兄たちだけに起こったことではなかった。ヨセフの上にも、神の懲らしめと諭しがなされていった。ヨセフも、たった一人になり荒野の穴に入れられ、また遠く異国の地へ奴隷となって売られていくことによって、自らを反省し、神を深く想うようになる機会を与えられる。こうして、神の遠大な計画は、少しずつ、進んでいくことになる。

次回:4月16日(水)創世記38章