創世記31章

2014.2.19 聖書を学び祈る会

ヤコブの富はだんだんと増して、ついに主人であり、かつ叔父であるラバンの富をしのぐに至る。ヤコブの富が増えたのは、単にヤコブの知恵によるのではなく、神の恵みによるものであった。しかし、ヤコブは富と同時に、ねたみを買った。もともとラバンは30章35節でも見うけるような、汚い仕打ちをする欲の深い男であつたが、彼とその息子たちにとって、ヤコブの繁栄はうとましいものであった。ヤコブはそのことを恐れ、ひそかに財産をまとめて出てゆこうとする。

叔父のもとを離れ郷里に帰ることは、神のみ旨でもあったが(30章3節)、しかしヤコブは、その主の「わたしはあなたと共にいる」との言葉を、本当に信じることはできなかったのであった。彼は策略をもってこれを実行する。彼の信仰は、いつも不完全な信仰である。しかし、不完全な信仰でも、無いよりは勝る。神は、薄信の者であっても見捨てられない。これが創世記の伝えるところである。

[14~16節] ラバンは14年間ヤコブに働かせても、少しも娘に持参金をくれなかった。だから娘たちは、父に売られたのであると憤慨したのである。また、彼女たちにとって、家族の絆を断って出てゆくことは、やはり実際的にも精神的にも大へんなことであったに違いなく、そういう理由づけでもしなければ、自分たち自身を納得させることはできず、やっていられなかったのであるとも考えられる。

[19節] 「守り像」・・・小さな祭儀用の道具で、いわば家の守り本尊。参考として、出土されたヌジの法典によると、家の財産の相続権と、この守護神の像の所有は、ひとつであった。この像はもちろん、主の日から見て、悪しき偶像崇拝であったが、イスラエルの民はたびたび、この誘惑に陥った。士師時代にはミカがこれを作り(士師17章4節)、ホセア書(3章4節)を見てもイスラエルの民が多くこれを、ヤハウェの神と混合していたらしいことがわかる。ヨシヤ王の時代になって、やっと王はそれを、改革によって厳禁したのであった(列王記下23章24節)。さて創世記に戻るが、ヤコブはのちに、ラケルがこれを持ち込んだのを知ると、これを捨てさせ、地に埋めている(35章4節)。