創世記30章

一夫多妻は多くの問題を産む。これは、祝された形の結婚ではない。その家は愛の中に保たれることがない。ヤコブの家においても、その二人の妻は姉妹どおしであったため、彼女たちの苦悩は、当時でもかなり複雑で深いものがあったのではないかと推測される。このような事態を予測できず、鈍感であった彼女たちの親ラバンは、まさに当時の家父長制の代表者としてふさわしいのかも知れない。不平等・不公平は、次々と連鎖して不幸の種を薄いていく。
さてしかしそういった中、神は、人間によって無視されたほうの妻に、より大きな恵みを与えられている。当時のユダヤの人々の考え方では、子を多く授かることは神の特別な恵みとしてあり、反対に不妊は悲しみとして受けとめられていた。現代ではどういう認識であろうか。人間が抱く価値観と、神の考えられる価値観とは、必ずしも同じというわけではないことを、私たちは忘れてはならない。ヤコブの家において起きていることは、神が当時の人々の意識に応えてあげて、彼らの感じる仕方で、虐げられている者を励ますために、このようなことをされたと理解しておくべきであろう。

ヤコブに疎まれたがゆえに、神は彼女を顧みられたのであるが、姉のレアが何人も子を授かる中、やっと妹のラケル(ヤコブに愛されたほう)も子を授かった。ヨセフである。長い間待ち望んでいただけに、これもまた彼女にとって特別な恵みとして受け取られた。のちにヨセフは大いなる者となり、その生涯はイスラエルの人々に感化を与えるようになる。骨肉の醜い争いにもかかわらず、神はみごとにその恵みを分けられた。

[14節]  「恋なすび」・・・南部パレスチナに見られるナス科の植物で、小さいトマトほどの実をつけ、早くから薬用に用いられた。ラケルは、オカルト的にこの恋なすびの効力を求めたわけであるが、それは後では触れられておらず、むしろ信仰的に、神ご自身が彼女の願いを聞かれて、胎を開かれたことが述べられている。

[37節]  熟練した羊飼いであるヤコブは、白い羊と黒い山羊の大きな群れの中から、例外的な少数のものであるはずのブチやまだらのもの、すなわち自分のものとすることができると約束が交わされたものを産ませた。羊飼いであり、また羊飼いをよく知っているのちのイスラエルの人々は、ヤコブのこの知恵を楽しく語り継いだことであろう。もちろん、実際にここに書かれているようなヤコブの細工が、ブチやまだらの羊や山羊を産ませることはありえない。経験を積む中でヤコブは、どのようなかけ合わせがブチをつくるかを、独自の直感にて会得したとしか考えられないが、その秘訣を誰にも明かすことなく、後世にはこのように語り継がれるようになったのであろう。ヤコブは、今日のユダヤ人の祖先であるが、今日のユダヤ人も、ヤコブと同様に、賢くて利殖の道に長けている。それは単なる偶然ではなく、独自の方法と秘密があるのである。