創世記46章、47章

 

2014.6.11 聖書を学び祈る会

ヤコブはエジプトに下る前にベエルシェバに行き、神に礼拝を捧げた。御心をうかが

うためである。以前、ヤコブの父イサクは、26章の初めには、同じように飢饉にあった

時、「エジプトに下ってはならない。わたしがあなたに示す地にとどまりなさい」との御

告げを受けた。そしてまた、今、飢饉である。しかもエジプト政府は自分に、ゴシェンと

いう肥えた土地を与えてくれると招いている。これはとてもよい話に聞こえる。もちろん

息子ヨセフには会いに行くが、招かれている通りそのままそこに住むことがよいのか、あ

るいは戻るべきなのか、簡単に決めるわけにはいかない。それで彼は、自分と一緒に行け

る者の全てを連れて、ベエルシェバに行き、父イサクの神に犠牲をささげて神のご意思を

うかがったのである。

このとき神はヤコブと一族に、恐れることなくエジプトに行き、そこに移住することを

命じられた。神はまた、ヤコブの子孫をいつまでもエジプトに置かないで、必ずいつかは

カナンの地に導き返してくださるという約束をされた。

私たちが人生を歩む道は、平坦ではないし、また時と状況によって、神がよしとされる

選択肢も同じではない。更には、将来には無くなってしまうことのために、今は労しなけ

ればならない、ということも度々起こる。行って、またやがて帰って来るという定めも、

同じようである。しかしそれでも、私たちは自分たちの一歩一歩を、神のよしとされる道

に合わせていかなければならない。いつも自分にとって楽な道だけを歩もうとするのな

ら、また都合の悪いことは負おうとしないのなら、私たちは決して神の栄光を見ることは

ないであろう。ヤコブは相当な老齢でありながら、神の意志に従おうとしたのであった。

かくしてヤコブは、息子ヨセフと劇的な再会をなした。彼らは二人とも、言葉よりも感

情がまさって物をも言えず、しばらく抱き合って、泣くばかりであった。

父は、その子の血のついた着物を受け取った時のこと、それからの悲しさを思い返した

であろう。また子は、奴隷生活と牢獄生活との苦しさが、こういった出来事を用意してい

たこととの不思議さを思ったであろう。そして二人、長い年月を経て、互いに生きて再会

できた喜びに、万感迫り、泣いたことであろう。

こうして無事に、ヤコブとその一行はエジプトに着き、ヨセフは王ファラオのところに

行って報告をし、兄弟のうちから五人を選んで謁見させた。エジプトでは五という数が重

んじられていたからである。ヨセフはエジプトにあってはエジプトの風習を、信仰を損な

うことのない限りにおいて尊重した。

イスラエルの民は、エジプト人に嫌がられることなく、ゴシェンに住むことができた。

というのは、エジプト人は牧畜を卑しんでいたので、イスラエルの民は、エジプト人の職

を奪うことなく、またむしろ喜ばれて、その地に移り住んだのである。しかしそれは、彼

らの人口がまだ少なく、エジプトに脅威を与えるほどのものではなかったからであった。

こうしてのちに、出エジプトの舞台が出来上がっていくのである。

次回:6月18日(水)創世記48,49章