創世記44章

2014.5.28 聖書を学び祈る会
ヨセフは兄弟たち、ことに弟のベニヤミンと再会して心から喜んだ。彼らはヨセフの家で共に食事をして、飲みかつ楽しんだ。しかし、ヨセフはまだ自らを兄弟たちに明かさない。兄弟たちは、目的の持って帰るべき食糧を与えられ、シメオンも無事返され、ヤコブが心配したベニヤミンにも何事もなく、帰路に向けて出立をすることができた。しかし、この度も彼らの金は袋の中に返され、そして末弟ベニヤミンの袋には、銀の杯がひそかに隠されていたのであった。
ヨセフに命じられた執事は、兄弟たちの一行を追いかけ、銀の杯を盗んだであろうと咎める。もちろん、ヨセフは、これを占いに使っていたとは考えられない。エジプトの知者の一人のように自らを装おうとしたのであろう。

兄弟たちは驚く。絶対にそんな物を盗んだ覚えはないと言う。もし有ったら、その者は殺されてもよい、また他の者も奴隷になると言った。しかし執事は、いや、殺すには及ばぬ、その者だけ奴隷にすると宣言する。そこで点検をするが、何とそれは彼らの末の異母兄弟、ベニヤミンの袋の中にあった。彼らは計略にかけられたことを知るが、自分たちの潔白を証明することはできない。兄弟を代表してユダは、誰かが盗みをしたとは考えないが、神が自分たちの罪をあばかれたと言う。若い時にヨセフに自分たちがしたと同じようなことを、今自分たちは受けようとしているのだと。そこで彼らは、みんなが奴隷になるという申し出をするが、執事は依然、ベニヤミンだけを奴隷にすると、これを許さず連れていく。しかし兄たちは、ベニヤミンだけが連れて行かれるのを見てはいなかった。一緒にヨセフのもとに行った。

さて、ヨセフは、同じ母ラケルより生まれた弟であるベニヤミンに特別の情をいだくとともに、こういう場合に他の異母兄弟たちがどのように対処するのかを見ようとしたのであろう。彼らは、ヨセフを捨てたように、ベニヤミンをも捨ててゆくだろうか。それとも、父が可愛がっているこのベニヤミンを、放ってはおかないであろうか。そのことはまた、かつて兄たちが自分になしたことを、今は兄たちがどう思っているかということとも繋がる。彼は、兄たちが今は悔い改め、仲良く生きている姿を、確かめたかったのであろう。ユダの弁明は、ヨセフ物語のクライマックスヘと続く。それは全く、誠実そのものであった。彼の言葉は兄弟たちの心の表れであった。

私たちも、人と和解を必要としている時には、真の悔い改めとその表明が必要である。人と人、群れと群れ、国と国とが、互いに自己を主張せず、過ちを告白し、未来のために一緒に歩み出していく思いに立つことが大切である。