マルコ福音書 13章1~23節

2013.3.13 聖書を学び祈る会

[神殿の崩壊を予告する](13:1~2)

 エルサレムの陥落と神殿の崩壊は、実際に起きた事件である。それはイエスが十字架にかかられたおよそ40年後、紀元70年に、ローマ兵によって起こされた。マルコ福音書の記されたのも、ちょうどその後ぐらいである。イエスの言葉と、実際に起きた事とが、あまりに鮮烈に思い起されたのであろう。

 エルサレムの神殿は、イスラエル人の信仰の中心であった。その外観も、実に堂々たるものであった。しかしイエスは、それらがやがて崩れ去ることを予告なさった。2節の言葉はまわりくどいが、要するに「全部崩される」ということである。イエスは、「先生、御覧ください。何とすばらしい石、何とすばらしい建物でしょう」と言った弟子の言葉に対し、象徴や外観また形に心が捉われることを注意なさり、それらが過ぎゆく物でしかないことを言われたのであった。

[終末の徴](13:3~13)

 イエスは2節で、エルサレム神殿の崩壊のことを予告なさったのであるが、それはユダヤ人である弟子たちにとっては、考えられない、それこそ世の終わりのことのように思われた。そして彼らは、イエスに、そういった終末の時には、どういったことが起きるのですかと、質問をした。

 これについてのイエスの答えは、いつのこととは限定できないものである。言い換えればこれらは、いつの時代でも起こってきたことである。かつても「自分がそれ(救い主)だ」と言う者はいたし(既に一世紀から)、現在も、新興宗教の中にそういったものはたくさんある。それらの宗教は、たいてい病気の癒しや金儲けのご利益を説いて人をひきつける。しかしイエスは、「人に惑わされないように気をつけなさい」と言われる。こういった惑わしのあるところは、それと出会う者にとっては、終末と同じ時なのである。また、いつの時代であっても、死ぬまでの限られた時間の中で、真理を探求し生きることが求められていることは、どの人間にも言えることであって、それはどの人も終末に生きていることを言っているのと同じである。どの人も、みな、死んで神の前に立ち、どう生きたかが問われるのである。ただしかし、この世界に必ず終わりが来るということも聖書の確かな約束であることを覚え、新しい世界に私たちが生まれ変わる時が来ることを待ち望んで、しっかりと残りの人生を生きていきたいものである。

[大きな苦難を予告する](13:14~13:23)

 マルコによる福音書のこの記事は、紀元40年、カリグラ皇帝が神殿に自分の像を立てさせた事件、あるいは70年のエルサレム陥落の時のことと関係づけられているのであろう。これらのことがイエスの予告なさった終末に対する注意の言葉と結びついて、真剣に伝えられるべき当時の緊急の事柄となったのである。しかしまた、これらはいつの時代でも気をつけなければならないことであり、また歴史は繰り返すという格言もあるように、いよいよ本当の終末が来る時も、同じような状況になることを、イエスはやはり予告なされたのではないかと解釈することも可能である。不完全で御心の通りにならないこの世界に、いつか神様によって終止符が打たれ、新しい世界が始まるということは、人間の魂にとって、ある意味幸せなことでもあるからである。