2012.10.17 聖書を学び祈る会
[ヤイロの娘とイエスの服に触れる女](5:21~43)
福音書には、イエスが死人を生き返らせた記事は、この他にナインの若者とラザロとに関して記されている。これらを迷信的要素として否定する者があるが、科学的説明ができなければ信じられないとすれば、イエスのいっさいの奇跡も彼の救い主としてのわざも、すべてはなくなってしまうであろう。そうすると、なぜにこれらの記事が残っているか、またイエスが宗教家たちから殺されるほど妬まれたか、また多くの復活の証人たちが命をかけて証しをしてきたか、それらの理由づけは全く説明がつかないものとなってしまうであろう。
会堂長は、社会的に尊敬を受け、会堂管理の任にあたっていた者である。その彼(名はヤイロ)が、身を低くしてイエスに助けを求めた。彼の娘は、イエスがそこに向かう途中で息を引き取るが、イエスは彼に、ご自身が死のかなたにまで及ぶ永遠の救いの与え主であることを、信じよと言われる。そしてそのしるしとして、この奇跡を起こされた。私たちの死も、イエスにあっては絶望ではない。死は、希望へ続く、もう一度起き上がる日を待つ、眠りの時である。
ヤイロの娘の救済に向かう途中、長血を患う女が出てくるが、彼女は、人々の旧約の律法の解釈からすれば、不浄の者とされていた。彼女はしかし切なる願いから、内にこもらず出かけて行く。そして、こっそりと気づかれないようにではあったが、イエスの御衣の裾に触れ、ついに神の癒しを得るのであった。彼女が最初黙って近づいたのは、不浄の者は公衆の場に出てきてはならぬという戒律があったからであろう。それでも出てきた彼女の決断、勇気は、イエスに対する信仰から押し出されたものである。私たちも、心からの切なる願いは、神の御前にすべて聞き届けられていることを覚えたい。
さて、それに対し、イエスは彼女の思い、信仰が、人々の中に明らかにされることを望まれ、このようなとぼけた問い掛け(「誰かが私に触れ、力が出ていった」)を、わざとなされたものと思われる。しかし実はこれはイエスの御存知のことであり、イエスは彼女の信仰のゆえに、癒しを与えられたのであった。イエスは、人々が持つ様々なタヴー、自分たちで作り上げた間違った価値観、弱者を排除しても当然のごとくに感じる習性を破られるために、彼女の行動を隠されたままにしたくはなかったのであった。
[ナザレで受け入れられない](6:1~6a)
イエスの故郷の人たちは、イエスのことをよく知っていたが、彼が普段は、見ばえのしない普通の人であるために、かえって彼につまづいた。人々というのはこのように、遠くの人や特別な人を尊敬しがちであり、それは意味を返せば、身近な人によって影響されて自分たちの生き方を変えたくないという、自己保身の考えからきている。人々はただ興味本位で、話の題材さがしにしか求めていないというのが、往々にして私たちにも起こることである。
「この人は、大工ではないか。マリアの息子で…」は、ユダヤ人にすれば非常に侮蔑的な表現となっている。大工(テクトーン=石工)は日雇いの仕事、親の名は通常ユダヤでは父親名が呼ばれたことから、ヨセフの子とは見ず、誰の子か分かったものではないとの、侮辱の言い方である。イエスはしかしこれに対して、人々の注目や尊敬を集めるために、何かをなさろうとは、一度もされなかった。意識してまでの不信仰を抱く者には、何をしても無駄である。私たちも同様に、そういった人々への説明責任は無い。
[十二人を派遣する](6:6b~13)
イエスが弟子を選び、彼らを二人ずつ遣わしたことは、私たちが、兄弟姉妹と励ましあって伝道しなければ、何も実を結ばないだろうことを示している。それは教会単位で考えても、同じことが言えるだろう。自分と自分の属する小グループのことしか考えられないものは、神の願いからは離れていると思う。
さてもうひとつの点、イエスが弟子たちに何も持たないで出てゆけと言われたのは、それはそれだけこの時が、緊迫した状況にある時だったからであろう。この箇所から、伝道と貧乏とを短絡的に結びつけて考えようとする者がいるが、それは的(マト)はずれである。イエスはのちに、ルカ福音書22章35節以下では、今度は逆に、備えもしてから出てゆくようにとも、教えられたからである。