2012.9.12 聖書を学び祈る会
[多くの人々を癒す]
マルコ福音書には、イエスの行なった多くの奇跡のことが記されてある。この1章21~45節だけでも、三つの癒しの奇跡の記事が出てくる。
奇跡は、現代人にとっては理解しがたいこと、迷信じみたこととして受けとられがちである。聖書の読み方にも、そのような人間の理論で理解しきれない部分は、単なる精神的な出来事の描写としての、象徴的な描写にすぎないとする意見もある。しかしそのように考えると、どうしても、イエスとその弟子たち、また群衆の取った行動に、奇跡がなかったとすれば説明がつかず、疑問が生じてこざるを得ない。理性や検証では確認することはできなくても、やはり奇跡は行なわれたのである。
イエスの奇跡をめぐって幾つか考察してみると、これらの奇跡はいずれも、イエスが、見せ物的になされたのではないことがわかる。またイエスは、奇跡のことが評判になり、彼の真の使命が誤解され、英雄視されることを懸念している。そのため彼は、人に言わないようにと命じておられたりする。イエスの奇跡は神の子の顕現の一つであるが、特に癒しは、愛のゆえに、やまれずになされた行為であった。また病気が罪のゆえに与えられる神の罰であると考えられていたユダヤにあっては(40節のハンセン氏病などは特にそう考えられていた)、イエスのこの働きは、救いを求める人々に深い慰めとゆるしを与えた。このことを抜きにして、イエスの奇跡は語ることができない。
イエスが汚れた霊に取りつかれた男やシモンのしゅうとめを癒した記事が出ているが、これらはユダヤの慣習からすると、安息日にしてはならないことであった。それらは律法学者たちによれば、神に背くことであった。しかしイエスは、あわれみのゆえにこの行為をなされた。イエスの働きは、人間を苦しめる悪魔とのたたかいであった。そういうわけでイエスが第一に取り組まれたのは、教えを宣べ伝えることであり、肉体の癒しそのものはむしろ二次的な業であったことが36~39節からも読み取られる。このことは現代においても、教会がまずどの業に取り組まなければならないかを、示唆する視点になるのではないかと思う。
さて、イエスのガリラヤでの最初の伝道の中心地は、カペナウムであったが、さらに具体的には、シモンとアンデレの家が本拠となった。シモンは結婚して家庭を持っていたが、イエスはここで彼ら家族の好意にあずかっておられた。シモンの妻については、その後、夫と一緒に伝道旅行に出かけて行ったことが記されている(Ⅰコリント9:5)。
初代教会において、女性たちの働きは大きい。マルコ福音書の著者=ヨハネ・マルコの母マリヤもそうであったし(使徒12:12)、このように女性たちの熱心は、福音の宣教のため、神の栄光のため、重大な貢献をなした。