カテゴリー別アーカイブ: 創世記

創世記50章

2014.6.25 聖書を学び祈る会

長い期間をかけて読んできた創世記の最後の章である。ヤコブの埋葬と、ヨセフの死がふれられている。

また、この物語の大きなテーマである「神の導き」ということについて、20節のヨセフの言葉がこれを集約している(45章5~8節以来、再び)。

[神の導き]

20節の言葉は、私たちに大きな深い慰めを与える。人がなす悪も、神はそれを、時間をかけて善に変えてくださる。神の導きは、何とありがたいことか。私たちは、自分たちの過ちを神の前に懺悔し、赦されて生き、そして先のことも神に委ねて生きることができる。神がそのほころびを、繕ってくださるのである。

[葬り]

ヤコブは、息子たちによって故郷に埋葬されることができた。しかしヨセフは出エジプトの時になって、その遺体がエジプトからカナンに運ばれることになる(出エジプト13章19節、ヨシュア24章32節)。この間およそ350年の歳月を、イスラエルの民はエジプトで過ごすことになる(出エジプト12章40節には430年と書かれてあるが、実際には約350年だったと検証されている)。

このようにして、創世記は出エジプト記につながる、新しい物語への始まりでもある。

ここに登場してきた信仰の人たちは、神の御言葉を信じ、約束を目指して歩んだ、私たちの先人であった。ヘブライ11章13~16節はこのことを記している。

ヨセフは、カナンを与えると言われた神は必ず、時至れば自分たちをエジプトから引き出してくださるであろうことを信じた。

エジプトは彼らにとって過ごしやすい所であったが、彼らは、しばしそこで寄留する、旅人としての信仰を言い表わし、またそのように生きた。

神の召し出される時が来たらきっぱりと、この地を去って旅立つことを、しっかり心に留めつつ歩んだのである。

この生き方の根底には、彼らが、過ぎ行くものにではなく、神がくださる安息こそ最もよいふるさとであると、待ち望んでいた信仰の姿勢がうかがえる。

私たちもまた、見える、過ぎ行くものにではなく、もっと良い、天にあるふるさとに目を注ぎつつ、この世を歩むのである。

(以下は補足)

[15節] ヨセフの兄たちは、ヨセフが彼らに報復しないのは、父が生きていたからではなかったかと思った。

ヨセフはもうとっくに、兄たちを完全に赦していたのであるが、彼らは自分たちがなした罪のあまりにも大きいのを思って、そのように心配したのであった。

人はこのように、なかなか赦しというものに、身を委ねきることが難しい。天国への約束も、どれほどのキリスト者がその救いを確信し、揺らぐことのないものだと安心することができているだろうか。赦された喜びと、約束への信頼、またそのことへの感謝がなければ、伝道は進まないであろう。基本的なことである。

[年代] 聖書考古学者たちの研究によると、ヨセフおよびヤコブ一族がエジプトに移住した時代は、おおよそ紀元前1700年頃と推定され、いわゆるヒクソス王朝(第15~17王朝)の時代だと言われている。ヒクソスというのは「外国の支配者」という意味だと言われ、セム系の民族で、ヘブル人とは割合に近しい民族だったようである。

そういった時代に、他国人ヨセフがエジプトの宰相になったことは、歴史的にみても十分可能性のあるところであり、無理のない話である。

次回:7月2日,9日,16日(水)で「主の祈り」を学んだ後、8月末まで夏休み。

 

創世記48章、49章

 

2014.6.18 聖書を学び祈る会

48章、49章は、ヤコブ(イスラエル)の臨終について詳しく記している。ヨセフは

父のもとにいないで宰相として朝廷にいたから、父が病んだとき人が知らせてくれたので

ある。彼は急いで、二人の息子を連れて父のもとに行った。

ヤコブはヨセフを愛していたので、ヨセフの二人の子を、彼の直接の子として、しかも

長男ルベンと次男シメオンと、同じように扱うことにした。二人を養子縁組したわけであ

るが(5節)、このことはヤコブがヨセフに対し特別な愛情を持っていたことを表わして

いる。それは他の息子たちに比して、三倍の祝福であった。ヨセフの母ラケルは、ヤコブ

の最愛の妻だったからである。彼女を亡くしたことは最期まで、彼の最も大きな悲しみで

あり、彼は臨終までそのことが心に残っていた(7節)。

ヤコブは、ヨセフとその子たちを祝福した。そのとき彼は神の名を、三重の仕方で呼

んだ。第一に、父と祖父とが仕えた歴史的な神。第二に、自分を今まで養ってくださった

神。第三に、天使として現れて、危ういところから度々救ってくださった神。彼は、この

神との生ける関係が、子どもたちによっても受け継がれてゆくことを願った。羊飼いであ

ったヤコブは、神の今日までの養いを、自分の飼い主である神の恵みとして深く感じと

った。第三に挙げた天使は、神ではないが、創世記の時代においては、その区別はまだは

っきりとは意識されていなかった。また事実、神は天使を通して、ヤコブと直に関わりを

持たれたのであった。

ヤコブは、ヨセフの二人の子を祝福する際にあたり、霊感によって、次男エフライムの

子孫が長男マナセの子孫よりも強くなることを知り、そのことを預言して言った。ヨセフ

は、父の右手が自分の次男の方に置かれているのを見て(ヤコブは手を交差してまで右手

を次男の上に置いていた)、長男の方に置いてほしいと願ったとあるが、当時は右の手に

よる祝福の方が、より大きな祝福があると考えられていたからである。しかしヤコブは、

それを拒んだ(19節)。

神の選びは、人の選びまた習慣とは異なる。神はエサウよりもヤコブを、ルベンよりも

ユダを(8~12節)、ゼラよりもペレズを(38章29節)、そして今またマナセより

もエフライムを選ばれた。ルベンやシメオンよりもユダが選ばれたのは、兄弟たちの中で

ユダが最も愛情深い者だったからではないだろうか。

ユダは、自分よりも愛する者のために、自分を犠牲にしようとする者であった(43章

9節、44章33節)。また、自分の過ちを指摘された時にも、即座に懺悔のできる心の

開かれた者であった(38章26節)。彼は、己れの小ささを知り、神の偉大さと憐れみ

を乞う者であった。またそれゆえに、他者に対しても情愛深い者となれたのではないだろ

うか。彼とは対照的に、シメオンとレビは父から、その残虐さゆえに批判され、神からも

退けられる(5~7節)。主がダビデを選ばれた時、『人は目に映ることを見るが、主は

心によって見る』(サムエル記上16章7節)とある通りである。

今日でも神は、多くのよい才能ある者を用いられず、人の目からはむしろ不適当と思わ

れるような器を、ご自身のために使われることがある。それは人に誇りを与えるためでは

なく、神に栄光が帰せられるためである。聖書はそのことを教えている。

 

創世記46章、47章

 

2014.6.11 聖書を学び祈る会

ヤコブはエジプトに下る前にベエルシェバに行き、神に礼拝を捧げた。御心をうかが

うためである。以前、ヤコブの父イサクは、26章の初めには、同じように飢饉にあった

時、「エジプトに下ってはならない。わたしがあなたに示す地にとどまりなさい」との御

告げを受けた。そしてまた、今、飢饉である。しかもエジプト政府は自分に、ゴシェンと

いう肥えた土地を与えてくれると招いている。これはとてもよい話に聞こえる。もちろん

息子ヨセフには会いに行くが、招かれている通りそのままそこに住むことがよいのか、あ

るいは戻るべきなのか、簡単に決めるわけにはいかない。それで彼は、自分と一緒に行け

る者の全てを連れて、ベエルシェバに行き、父イサクの神に犠牲をささげて神のご意思を

うかがったのである。

このとき神はヤコブと一族に、恐れることなくエジプトに行き、そこに移住することを

命じられた。神はまた、ヤコブの子孫をいつまでもエジプトに置かないで、必ずいつかは

カナンの地に導き返してくださるという約束をされた。

私たちが人生を歩む道は、平坦ではないし、また時と状況によって、神がよしとされる

選択肢も同じではない。更には、将来には無くなってしまうことのために、今は労しなけ

ればならない、ということも度々起こる。行って、またやがて帰って来るという定めも、

同じようである。しかしそれでも、私たちは自分たちの一歩一歩を、神のよしとされる道

に合わせていかなければならない。いつも自分にとって楽な道だけを歩もうとするのな

ら、また都合の悪いことは負おうとしないのなら、私たちは決して神の栄光を見ることは

ないであろう。ヤコブは相当な老齢でありながら、神の意志に従おうとしたのであった。

かくしてヤコブは、息子ヨセフと劇的な再会をなした。彼らは二人とも、言葉よりも感

情がまさって物をも言えず、しばらく抱き合って、泣くばかりであった。

父は、その子の血のついた着物を受け取った時のこと、それからの悲しさを思い返した

であろう。また子は、奴隷生活と牢獄生活との苦しさが、こういった出来事を用意してい

たこととの不思議さを思ったであろう。そして二人、長い年月を経て、互いに生きて再会

できた喜びに、万感迫り、泣いたことであろう。

こうして無事に、ヤコブとその一行はエジプトに着き、ヨセフは王ファラオのところに

行って報告をし、兄弟のうちから五人を選んで謁見させた。エジプトでは五という数が重

んじられていたからである。ヨセフはエジプトにあってはエジプトの風習を、信仰を損な

うことのない限りにおいて尊重した。

イスラエルの民は、エジプト人に嫌がられることなく、ゴシェンに住むことができた。

というのは、エジプト人は牧畜を卑しんでいたので、イスラエルの民は、エジプト人の職

を奪うことなく、またむしろ喜ばれて、その地に移り住んだのである。しかしそれは、彼

らの人口がまだ少なく、エジプトに脅威を与えるほどのものではなかったからであった。

こうしてのちに、出エジプトの舞台が出来上がっていくのである。

次回:6月18日(水)創世記48,49章

創世記45章

2014.6.4 聖書を学び祈る会

ユダの言葉に、ヨセフは兄たちがもはや過去のようでないのを見た。ヨセフは込み上げ

てくる思いで、自分を制することができなくなり、官邸にいる他のすべての者をその席か

ら去らせた。兄弟たちだけになった時、彼は声をあげて泣きながら、母国語で自分がヨセ

フであることを打ち明けた。驚いたのは兄たちである。

彼らは口をきくこともできず、茫然と立ちつくした。と同時に、非常な恐れを感じた。

あんなひどい目に合わせた弟ヨセフが、エジプトの宰相ならば、自分たちはどんな仕返し

をされるかわからない。しかしヨセフは、兄たちに、自分が彼らを赦していること、また

神はこれらの出来事の中にも、恵みと導きをお与えになったことを告白する。ヨセフは兄

たちのしたことが、よかったとは決して言わない。しかし彼らの悪意でしたことですら、

神は利用し、ご自身のわざを成し遂げられたと語る。神は罪のただ中にも、罪の結果をも

用いて、恵みを備えられる。神を畏れ、信じ、神と共にいたヨセフは、自分の個人的な苦

悩を越えて、この神の恵みの摂理を体験したのである。

ヨセフは、のちに来たるべきメシア(キリスト)を予見させる型として、聖書学者たち

から見られることがある。それは、単にエジプトへ下ったという旅路の重なりを意味する

からではなく、彼は、苦しめられることによって、彼を苦しめた者を救ったということに

おいて、働き的に重なるからである。ヨセフの兄たちが彼を奴隷に売って(本章4節には

そうあるが、これは37章28~30節と比べると不正確で、おそらくは37章が正しい

内容であろう。兄たちにとってヨセフは、そんなこととは知らず、死んでしまったに違い

ないと思われていたからである。聖書にはこのように、口伝経路の違う幾つかの資料が編

集されて組み合わされる過程で、内容に矛盾が生じる場合も多々ある。読者は、注意して

読む中で、新たな発見や、ときにはそれに伴う霊的に意味深い真実に出会うことも起こり

得る)、エジプトに彼が送られたから、彼はエジプトの宰相となり、地中海世界の大飢饉

のとき彼自身と彼の父と兄弟たちを救うことができた、というわけである。

さて、ではしかし、それならば、兄たちのした悪事は、悪事ではなかったのだろうか。

またこの悪事がなかったら、神のアブラハムに対してなされた約束は、すたれたのであろ

うか。そうではない。悪は悪である。悪はなくても善はなされる。ヨセフの兄たちが罪を

犯さなくても、ヨセフは何らかの道を通って、エジプトの宰相になったであろう。しか

し、神は、罪あるところにも恵みをほどこし、また無益なものにも意味を与え、混乱ある

ところにも秩序を与えていってくれるお方である。創世記最後の章(50章)でも、兄た

ちの心配に対し、ヨセフが再び赦しを述べる場面で、20節にある通りである。

かくしてヨセフと兄たちの和解は成り、またヨセフも神によっていつの間にか成長さ

せられ、また、イスラエル全部族にとっても、更には周辺世界全体にとっても大きな救い

が、ここに起こった。まさに、ローマ書8章28節を思い起こさせる物語である。

創世記44章

2014.5.28 聖書を学び祈る会
ヨセフは兄弟たち、ことに弟のベニヤミンと再会して心から喜んだ。彼らはヨセフの家で共に食事をして、飲みかつ楽しんだ。しかし、ヨセフはまだ自らを兄弟たちに明かさない。兄弟たちは、目的の持って帰るべき食糧を与えられ、シメオンも無事返され、ヤコブが心配したベニヤミンにも何事もなく、帰路に向けて出立をすることができた。しかし、この度も彼らの金は袋の中に返され、そして末弟ベニヤミンの袋には、銀の杯がひそかに隠されていたのであった。
ヨセフに命じられた執事は、兄弟たちの一行を追いかけ、銀の杯を盗んだであろうと咎める。もちろん、ヨセフは、これを占いに使っていたとは考えられない。エジプトの知者の一人のように自らを装おうとしたのであろう。

兄弟たちは驚く。絶対にそんな物を盗んだ覚えはないと言う。もし有ったら、その者は殺されてもよい、また他の者も奴隷になると言った。しかし執事は、いや、殺すには及ばぬ、その者だけ奴隷にすると宣言する。そこで点検をするが、何とそれは彼らの末の異母兄弟、ベニヤミンの袋の中にあった。彼らは計略にかけられたことを知るが、自分たちの潔白を証明することはできない。兄弟を代表してユダは、誰かが盗みをしたとは考えないが、神が自分たちの罪をあばかれたと言う。若い時にヨセフに自分たちがしたと同じようなことを、今自分たちは受けようとしているのだと。そこで彼らは、みんなが奴隷になるという申し出をするが、執事は依然、ベニヤミンだけを奴隷にすると、これを許さず連れていく。しかし兄たちは、ベニヤミンだけが連れて行かれるのを見てはいなかった。一緒にヨセフのもとに行った。

さて、ヨセフは、同じ母ラケルより生まれた弟であるベニヤミンに特別の情をいだくとともに、こういう場合に他の異母兄弟たちがどのように対処するのかを見ようとしたのであろう。彼らは、ヨセフを捨てたように、ベニヤミンをも捨ててゆくだろうか。それとも、父が可愛がっているこのベニヤミンを、放ってはおかないであろうか。そのことはまた、かつて兄たちが自分になしたことを、今は兄たちがどう思っているかということとも繋がる。彼は、兄たちが今は悔い改め、仲良く生きている姿を、確かめたかったのであろう。ユダの弁明は、ヨセフ物語のクライマックスヘと続く。それは全く、誠実そのものであった。彼の言葉は兄弟たちの心の表れであった。

私たちも、人と和解を必要としている時には、真の悔い改めとその表明が必要である。人と人、群れと群れ、国と国とが、互いに自己を主張せず、過ちを告白し、未来のために一緒に歩み出していく思いに立つことが大切である。

 

創世記43章

2014.5.21 聖書を学び祈る会

43章は、42章とは違う資料から採られ、編纂されたと考えられている。ヤコブの名がイスラエルという名で呼ばれるのもその一つの特徴であるし、幾つか42章とは、内容的にも統一されていない所もある。例えば、この43章では、ヨセフが兄弟たちに、父はまだ生きているか、弟があるかとしきりに尋ねたので答えてしまったとあるが(7節)、42章では、聞かれない先に、兄弟たちがスパイでない説明として自分から語ったとある(13節;ついでで補足すると、これがスパイでないことの説明であるとは、普通理解しがたい内容であるが、つまりは十人もグループで来たのは何かの企みを持った集団と嫌疑をかけられたのを、本当に自分たちは兄弟なんですと必死で説明した内容なのであろう)。これらの違いは、それぞれの元になった資料が異なることを示している。

創世記編纂者は、このヨセフ物語においては、あらゆる逆境にありながら不平や怒りを他人にぶつけるのでなく、神の導きを静かに待つ生き方をしたヨセフという人物に焦点をあてて、いきいきと物語を伝えることを心がけたため、別々の資料をつなぎ合わせる過程で、少々の矛盾点には気がつかなかったのであろう。前の42章で扱った、ヨセフの艱難の年月計算もその一つである。

聖書はこのように、完全無欠の書というよりも、どんな内容を大事に伝えようとしたかということが肝腎なことであり、よって例えば、聖書の中に書かれてあるごく一部の言葉が強調されて、理性や良心までも歪めるような教えがなされることがあっては絶対にならない(例えば、第一ペトロ2章13節の言葉が悪用されたり)。

 

さて42章では、ヨセフの十人の兄たちの中で、ルベンが主役をつとめているが、この43章と次の章では、ユダがそれに代わっている。37章でヨセフが兄弟たちに殺されようとした時に、二人の兄がそれを止めたとあるが(21,27節)、それはルベンとユダであった。本章ではユダに焦点が少しあてられる。

飢饉がますます激しくなった時、父イスラエルは、もう一度エジプトに行って穀物を買って来いと息子たちに命じる。しかしユダが答えて言うには、今度行く時は、末の子ベニヤミンも一緒でなければならないのだと説明をする。もちろんそれは、イスラエルの了承できないところである。しかしこの時、ユダが、自分自身の身をもってベニヤミンを請け合うことを申し出た。すなわち、ベニヤミンがもし帰れないような状況になれば、自分がその身代わりになるという覚悟である。これはルベンが、もしベニヤミンが帰らないことがあったら、自分の二人の子を殺して下さいと言ったのよりも、誠実にして情愛深い態度だったのではないだろうか。

 

父イスラエル(ヤコブ)は、ユダの誠意に満ちた言葉に動かされ、ついに決断をした。この時のヤコブは、実に一生涯のうちでも、最も苦しい時であった。なぜなら彼はこれまでもしばしば、苦しい日に会ってきたが、しかしそれらはいずれも、自分に関する苦しみか、もしくは自分の知らぬところで起こった出来事であった。けれども今は、彼は自分で決断して、最も愛する末子を、殺されるか奴隷にされるかという恐れのある所へと、手放すのである。彼はこの時、幾多のとき彼と共にいて、彼を危機から救い出してくださった神に、すべてを託する。祈った上で万事を神の御手にゆだね、自分にとって最悪の事態にたとえなろうとも、それを受けとめていこうと決意をする。そして、なし得る全ての配慮を終えて、息子たちを旅立たせる。

私たちも、人生での大きな決断のときにおいて、安全また成功を確実にするものは何も無い。しかし神に祈り求めていく者には、神は必ずや最善を尽くしてくれるだろうという安らぎが与えられる。神に祈り、神に委ねた者だけが、前に向って力強く歩むことができる。祈らない者や、ただ祈っても願いを述べるだけでその先のことを神に委ねない者は、不安がつきまとい、いつまでも前に向って歩みだそうという覚悟ができない。高齢のヤコブが、祈った末に与えられた覚悟を見よ。彼は、真剣な願いは持ちつつも、しかしその先のすべてを、たとえどのような結果になろうともよいと神にゆだね、勇気をふるって歩み出すことができた。祈り、委ねる者のみが、真の強さを持つことができる。

 

次回:5月28日(水)創世記44章

創世記42章

2014.5.14 聖書を学び祈る会

ヨセフが神により夢解きをしたことは実際となり、飢饉はカナンの地にも及んだ。ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、息子たちを買いにやらせる。カナンからエジプトまでは、4~500kmの道のりで、せいぜい東海道の長さである。けれども、ヨセフの弟ベニヤミンだけは、行くことを許されなかった。それは、もはやヨセフなき者と思われていたヤコブにとって、最愛の妻ラケルの残した、たった一人の子であったからである。ヨセフの兄弟たちは来て、地にひれ伏し彼を拝した。こうして、ヨセフが若い時に見た夢は実現した。かつてヨセフが夢を話したことで、兄たちは怒り彼を殺そうとしたのに、そのことがかえって夢の実現に役立った形になる。非常に不思議な話だが、神の導きなしにはこのことは起こらなかったであろう。ところで、エジプトの宰相自身がいちいち穀物を買いに来た人々に、このように応対していたとは考えられない。もしかしたら、回し者だという疑惑が彼らにかけられたために、ヨセフの元に連れてこられたか、あるいはヨセフが兄たちの来るのを予期して、それらしき者たちが来たら告げるようにと命じていたかのどちらかであろう。
さて、以上のことはまだしも、実はヨセフ物語には、ほとんどの読者が気づいていない大きな謎が残されている。それはヨセフの、この時の年齢である。41章46節には「ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立ったとき三十歳であった」とある。しかしこれはヨセフ物語の話全体の中で、理解するのにかなり難しい数字であることが浮かび上がってくる。というのは、47章9節にある、父ヤコブがエジプトに来て王ファラオに挨拶をした時の年齢が、百三十歳であったことから、そしてそれがこの時代の他の族長たちの年齢とつり合っていることから、それを前提に逆算すると次のようになるためである。すなわち、ヨセフがファラオの夢解きをした後の7年間は大豊作、その後7年は大飢饉となるが、ヨセフの兄たちが買い付けに来たのは、飢饉が始まってから2年であったことから(45章6節)、ヨセフの兄たちとの再会は、王の夢解きから数えて9年後、父との再会も同年ないしはせいぜいその翌年として10年後のことであったので、ヨセフが四十歳の時であったことになる。するとヨセフが生まれた時のヤコブの年齢は、九十歳であったということになるが、これはどうしても無理がある。というのは、ヤコブは兄エサウに命を狙われ、叔父のラバンのもとに逃亡して、そこで出会ったラケルに一日惚れをし、結婚をしていくわけであるが、彼女との歳の差が、四十も五十も離れていたとは考えられないからである。
そうすると、仮にラケルがヤコブより十歳若かったとして、彼女がヨセフを産んだ歳は八十歳の時で、しかもその数年後にはベニヤミンも旅の途上で産み、その日予期せず急に死んだというのは、どう考えても無理な話だからである。そこまでして産まなければならなかったり(サラだけが特例で他は不可能)、産むとしても同時に死ぬことが予想される歳なのに身重で旅の最中とは、無理な仮定である。こういった矛盾は、実は聖書のあちこちにこっそり隠れている。たぶん口伝で伝えられた伝承の誤りか、それか、もしかしたら41章46節の元の文は、こういう内容ではなかったかとも推測される;「ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立つのに三十年であった(エジプトに来てから30年かかったという意。つまりヨセフはその時、四十七歳であったという仮定。またヤコブがヨセフを生んだ歳が七十三歳という仮定)」。それでもこの数字は尚もかなりの無理を残すが、ラケルがヤコブより二十歳ほど若かったならあり得る話である。聖書が全部書いてあるまま間違い無いと思う必要はないが、できるだけ整合性をもって読もうとすれば、「ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立つのに三十年であった」という線が、最も理解しやすい話になるだろう。さてそうすると、ヨセフが監獄で暮らしていた期間は非常に長く、投獄される前にポティファルの家にいた期間が数年あったとしても、二十年以上も監獄にいたということが物語全体をみてわかってくる。それほど監獄に長くいて、最後の二年前に王の給仕長と料理長の夢解きをし、復帰してゆく給仕長に自分の解放の期待を託しつつそれも忘れ去られた時、普通なら誰もそこで全ての気力を失ったであろう。彼はしかしそれらの長い歳月を、希望をもって歩んだ。これは本当に信仰がなくては耐えられない歳月であった。そして時がきて、ファラオの夢解きをし、エジプトの宰相となったのであった。
さて、ヨセフは兄たちと出会い、自分をひどく扱った彼らが、自分の弟ベニヤミンにはどう接しているだろうか、父は健在だろうか、という思いにかられた。また彼は兄たちが、自分になしたことを今ではどう思っているか、知ろうと思った。そこで彼は兄たちに、すぐに自分の素性を明かすことをせず、わざと疑いをかけて彼らをつなぎとめる。ヨセフは兄たちの会話を聞き、離れていって一人泣く。これまでの試練と、肉親の情と、不思議な神の導きに、こもごもの思いが込み上げてきたであろう。しかしヨセフは、まだ彼らに自らを明かそうとしない。ヨセフは兄たちと、安易にではなく真に深いところで和解をしたかったのである。そのためにヨセフは、あえて涙を隠して、シメオンを一人残し、兄たちを故郷へ帰らせる。持ち帰るよう袋に入れておいた銀は、彼の愛と赦しのしるしであった。
父ヤコブは、彼らの帰りとともにエジプトでの出来事を聞き、悲嘆にくれる。しかし、舞台はすぐに一転していく。彼はまだそれを知らないが、神はこのように、明日の幸福を隠されることがある。

創世記40章、41章

2014.5.7 聖書を学び祈る会
ポティファルの妻の悪だくみによって、ヨセフは監獄に入れられたが、彼は希望を失わなかった。そして、与えられた場で、前向きな生き方をした。彼がそのことをできたのは、「主がヨセフと共におられ」と聖書が何度も記しているように(39章)、彼もまたそのことを信じることができたからに他ならない。
信仰による希望。彼は、神によって錬られ、成長をしてゆく。神が共におられることを信じることによって、試練は忍耐と練達に変えられ、希望をも生み出していった(ローマ5章3,4節)。そして更に、それは、彼個人のことにとどまらないばかりか、多くの人々を救済する結果へと導かれていく。
ヨセフがファラオの侍従長の屋敷で、奴隷でありながら執事の役までこなし、家をますます繁栄させた経験、そして次には、無実の罪で入れられた監獄でも、決して自暴自棄になるのではなく、他の人々の世話まで進んでなし、様々な問題を抱えているはずの囚人たちさえもよくまとめ続け、囚人たちからも監守長からも信頼を得た経験。それらは、やがてエジプトの総理大臣の任を命ぜられるための、準備期間として、神が備えられた訓練のときであった。

ヨセフが獄で過ごしていたある日、エジプト王の給仕役と料理役とが、同じ獄につながれ、それぞれ夢を見て、思い悩んでいた。夢は、隠された形で将来の出来事の予言を含んでいると信じられていたが、一般にはそれを解くのには、特別な技術を持つ者や占い師的な専門家が必要だと考えられていた。しかしヨセフは、「解くことは神による」と言った。それは、神への信頼と忠誠から、神の示したもうことを見るのだと言うのである。したがってその夢解きは、当時の魔術的な夢判断に対する、根本的な挑戦でもあった。ヨセフが言うところは、未来は、神の御手の内にのみあるのであって、これを人間の力や技術で知ったり、コントロールすることは出来ないということである。この言葉を、彼はエジプト王の前でも語った。彼は自分の力で夢を解こうとしたのではなく、神が告げ知らせてくれることを伝えたのであった。王と家来は、その解き明かしに納得し、感心をした。

上記が、聖書がこの物語で告げる内容である。しかし、今日での夢の位置づけは、どうすべきであろうか。聖書は、記されたその時代によって、限界を持つ部分と、限界を持たない不変の真理の部分との両方があり、私たちはそれを見極める必要がある。この場合、夢は言うまでもなく、今日では現実の何かを前もって示すものなどではないことは、理性ある者ならば明白な答である。すると、聖書が記した内容はどういうことであるか。当時は、夢というのが、大へん重要視されていた時代であった。そういう時代であったので、神は、このような特別な啓示の仕方をされたこともあったのだというふうに、この記事を読んでもよいだろう。
今日、もしヨセフが生まれ、同じような舞台に立つとしたら、彼は夢の解釈という方法ではなく、ずばり為政者のなすべきことを、世界の状況をみて倫理的な視点で指摘したであろう。それでも、聞く・聞かないは、その為政者自身に責任が問われている。21世紀に入ってすぐ、某大国の大統領は国連の制止を無視し、また神がローマ法王その他多くの人々を通し語った忠告にも耳を傾けず、戦争を起こしたことは、取り返しのつかない過ちであったことを、引退した今からでも反省し、公に言い表わすべきであろう。

次回:5月14日(水)創世記42章